「知(知)の拠点整備事業」ふくしま未来学 平成26年度シンポジウム

地域における学校現場と大学の連携による人づくりの可能性(1)

2015年1月22日、福島大学において、標題のシンポジウムが開催された。

記念講演には、島根県隠岐郡海士町長 山内道雄氏を招き、氏が町長になってから、海士町の住民の村に対する認識が変わるまでの経緯を講演。海士町には、パネルディスカションの演題にもつながる、双葉郡の児童生徒たちが研修に行ったことにもふれ、聴衆を惹きつけてやまない講演は、大勢の立ち見がでるほどだった。

パネルディスカション 福島における学校現場と大学の連携(1)

左:コーディネーター 中田スウラ氏(福島大学人間発達文化学類教授) 右:大熊町教育委員会教育長 武内敏英氏
左:コーディネーター 中田スウラ氏(福島大学人間発達文化学類教授) 右:大熊町教育委員会教育長 武内敏英氏

福島大学人間発達文化学類教授 中田スウラ氏のコーディネートにより始まったパネルディスカションでは、まず最初に大熊町教育委員会教育長 武内敏英氏が、双葉郡の子供たちによる「ふるさと創造学」にいたる話し合いの経緯を説明した。

 

それによると、双葉郡8町村は3つのワーキンググループを作り、教育先進地の視察からスタート。これからの教育をみなで考える「子供未来会議」を開き、子どもたち、教育者、保護者が一緒にテーブルを囲んで話し合った。ここで出てきた子どもの発言に、教育者は目を見開かれる。「今までの授業のような、単に板書をうつすだけの授業はイヤだ」という意見だった。会議はやがて「ふるさと創造学」につながり、子どもたちの能力面の育成に力をそそぐ教育のあり方に議論が広がったのである。

右より東日本大震災復興支援財団専務理事 荒井優氏、内閣府参事官 井上博雄氏、富岡町保護者 遠藤絹子氏
右より東日本大震災復興支援財団専務理事 荒井優氏、内閣府参事官 井上博雄氏、富岡町保護者 遠藤絹子氏

次の発言者は遠藤絹子さん(富岡町)。

3人の子どもの保護者として、震災後の子どもたちの様子や、避難により遠く離れてしまったママ友との会話などを紹介した。富岡町は兼業農家が多く、遠藤さんの家庭もそうだったという。その影響で長男は、小さいときから農家の家を継ぐことを口にする子どもだった。しかし原発事故により、富岡町での農業が難しくなる。震災後、遠藤さん夫婦は家族と共に郡山市に住む。やがて長男が高校進学を迎えるとき、彼はいわき市にあるサテライト校への進学を決めた。当初寮に入る予定だったが、祖父母がいわき市に移り住み、長男と暮らすことになる。共働きの両親の元で育った彼は、小さい頃から、おじいちゃん、おばあちゃん子だった。一方遠藤さんの下の娘は郡山市内の学校に通ってた。何も言わずに通学していたが、あるとき遠藤さんに「転校生って大変だね」と話したという。言葉に込められた娘の思い。

「転校生の気持ちがわかって、よかったね」と娘に言ったものの、娘の気持ちを推し量ると、たまらなかった。 

福島大学では、どのような取り組みをしていたのだろうか。

福島大学人間発達文化学類 教授 中村恵子氏が発表した。

2011年5月のゴールデンウィークが終わった頃から、学生ボランティアと一緒に福島市内の避難所に入った。当時は、震災直後から始まった支援が一区切りついたところで、子どもたちから「どうせいなくなるんだよね」と言われたことが心に残ったという。同時に継続支援の必要性を強く感じた。大学では「東日本大震災教育支援プロジェクト 子ども支援プログラム」を作成。2011年4月~8月を「第1期」、2011年9月~2012年3月を「第2期」、2012年4月~8月を「第3期」、2012年9月~2013年3月を「第4期」とし、学生ボランティアや地域住民をはじめ、文部科学省、OECD(経済協力開発機構)などの協力を得ながら「土曜こどもキャンパス」「OECD東北スクール」「同窓会事業」などを展開していった。まとめとして、教育は大学などの教育機関だけではなく、地域全体を教育の場とすることが必要だと話した。